HISTORY先端を走ってきた歴史

荻野義夫を筆頭に、
同志12人で立ち上げた日本光電。
創業から「メディカル・エレクトロニクス」の
先陣を切る技術を生み続け、
国内外において医学や医療の
常識を前進させてきました。

1940

1944年~1950年

医学と工学の接点を
追求するために、
医療の道へ。
20代の頃、陸軍科学研究所で電子工学を研究していた荻野義夫。その研究の一環で、小鳥の翼を動かす神経に電流を流す実験に立ち会い、生物の驚異に感動する。その後に終戦を迎え、戦争中に信じてきた価値観が大きく揺らぐ中、「情熱を注ぎ込んでも悔いのない使命」は何かと自問自答。 そこで当時の実験の風景を思い出し、医学と工学の結合を追求するために、30歳で医学部へ進学。
1944年~1950年

1950

1951年~1961年

12人の想いで
立ち上げた、
日本光電。
「少数の名医がいても、その診療を受けられる人の数は限られている。優れた医療機器をつくって、世界中の医師に使ってもらえば、自分が医師になるより何倍も多くの人びとの役に立つ。」医学部で目覚めたこの想いを周りに熱く語り、1951年に日本光電を設立。同年12月には、世界で初めて連続的に脳波を測定できる、交流式脳波計の開発に成功。
1951年~1961年

1961

1962年~1977年

世界中の
患者さんを救う、
様々な製品の
開発に成功。
今日の生体情報モニタの基本となる(様々な生体情報を記録できる装置として)日本初の重症患者監視装置の開発に成功。また、これまで侵襲的・断続的にしか測定できなかった動脈血酸素飽和度(SpO2)を、患者さんの負担なく、連続的に測定できるパルスオキシメータの開発に世界で初めて成功。世界中で多くの患者さんを救う画期的な製品を生み出し、その後も国内外で称賛される製品を世界に提供する。
1962年~1977年

1977

1978年~1995年

技術力を
アメリカ・欧州へ。
救急現場でも、
欠かせない存在に。
アメリカ・カリフォルニア州をはじめ、オランダのアムステルダム、ドイツのフランクフルト、英国のロンドンに海外拠点を設ける。脳波計は世界で、生体情報モニタ、ポリグラフ、除細動器などは国内でトップシェアの座を占める。また培ってきた技術を生かして、救急医療など新たな市場にも参入する。
1978年~1995年

1995

1996年~2004年

これまで培ってきた
センサ技術に
磨きをかける。
患者さんへの苦痛や負担を軽減し、簡単に測定できる技術に取り組む。挿管していない患者さんにも使用できる世界初の超小型CO2センサのほか、産学連携による共同研究から、心電図とパルスオキシメータから得られる脈波の測定を行うだけで、これまでカテーテルを挿入しないと測定できなかった心拍出量を簡単に、連続的に測定できる新技術「esCCO」の開発にも成功。
1996年~2004年

2004

2005年~2010年

先陣を切って、
国産AEDを開発。
2004年に一般市民によるAED(自動体外式除細動器)の使用が可能になった後、2009年に初の国産AEDの製造に成功。また、東京マラソン2007より、毎年サポーティングパートナーとしてAEDの貸出や救出活動のサポートなどを行っている。AED講習会などにも注力し、一般市民によるAEDを使用した救命件数も増えており、救急救命医療に貢献している。
2005年~2010年

2010

2011年~2015年

AEDのトップ
メーカの一員に。
そして、
日本人初の快挙。
AEDがさらに進化を遂げ、リモート監視システムにより日本光電で初めてIoT技術を導入。2012年には米国の救命救急医療機器メーカ、デフィブテック社を買収。AEDのトップメーカの一員となったほか、2社の技術を融合することでAEDのさらなる機能の向上を果たす。また、2015年に日本光電の社員・青柳卓雄によるパルスオキシメータの発明が世界に評価され、日本人として初めて「IEEE Medal for Innovations in Healthcare Technology」※を受賞。
※米国に本部を置く電気工学・電子工学技術の学会IEEEにより、医学・生物学・医療技術分野での顕著な貢献に対して授与される。
2011年~2015年

2015

2016年

次なる市場の開拓。
そして、
新たな創造の現場を。
2016年には医療インフラ整備に対する潜在的需要が大きく、今後より一層の医療機器市場の成長が見込まれる中南米の一国であるメキシコに販売拠点を設立し、海外販売拠点が17カ国となる。さらに国内では「夢と革新を育む創造の場」をコンセプトに、埼玉県所沢市に総合技術開発センタを開設し、世界水準の試験設備を併設。すべての開発プロセスを集中的に行えるのみならず、技術部門間の連携が進み、コア技術を融合した新製品の開発が実現。
2015年~2016年

2016

2017年~2019年

日本光電の医療を、
より多くの方に
届けられるように。
世界でのプレゼンスを高める中で、日本光電ミドルイースト株式会社の支店をケニアに開設。アフリカ初進出となる。AEDにおいては、初の家庭向けAEDの販売を開始し、より多くの命を救うことに注力。また、生体情報モニタでエコー画像を表示できる世界初の超音波画像診断装置「First Echo」の他、当社初の人工呼吸器「NKV-330」を開発・販売開始。人工呼吸器においては、これまで培ってきたヒューマン・マシン・インターフェースなどのテクノロジーを融合し、数年にわたって自社開発を進めてきた成果が実る。日本光電は新規事業にも積極的に挑戦し、世界の医療課題の解決に貢献する。
2017年~2019年

2019

2020年~現在

人と医療を導く光に
なることを
目指し、新長期ビジョン
「BEACON 2030」を
策定。
2020年に、新長期ビジョン「BEACON 2030」を策定。世界中で働く社員と対話しながら、これまで培ってきた強みや価値観、解決したい課題や創り上げたい未来を紐解き、その象徴として「Illuminating Medicine for Humanity グローバルな医療課題の解決で、人と医療のより良い未来を創造する」というステートメントを作りました。少子高齢化、医療業界の人材不足、医療格差など壮大な課題に対して、自社技術とデジタルテクノロジーの掛け合わせで、人に寄り添ったソリューションを創造することを目指します。

新長期ビジョン「BEACON 2030」について
2020年~現在
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